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福島家庭裁判所郡山支部 昭和40年(少ハ)1号 決定 1965年7月28日

本人 T・G(昭二〇・六・一七生)

主文

本人を昭和四一年三月三一日まで特別少年院に継続して収容する。

理由

本件申請の要旨は、「本人は昭和三八年一一月五日福島家庭裁判所郡山支部で特別少年院送致決定を受け同月一一日盛岡少年院に収容され昭和三九年三月二四日成績不良のため千歳少年院に移送され昭和四〇年二月一二日同じく成績不良のため久里浜少年院に再度移送され同年六月一七日二〇歳に達するためその収容期間が終了するものであるが反則事故多くあつて在院成績向上せず、性格的にも心情不安定で不満が高まると突発的逆上する傾きがあり、犯罪的傾向もいまだ矯正されたとは認め難い。従つて現状のまま退院させることは不適当であり、尚矯正教育を施す必要あるものと認められるので、少年院法一一条二項により収容を継続すべき旨の決定を申請する。」というにある。

一、そこで判断するに本人及び久里浜少年院分類保護課長日比一義の各供述、同少年院長川島真一作成の回答書、法務技官藤田一夫作成の鑑別結果通知書、家庭裁判所調査官柿沼武三作成の調査報告書並びに一件記録を綜合すると下記の事実が認められる。

(イ)  本人は、小学校高学年頃から非行に走り、既に教護院、初等中等の各少年院に収容された経歴を有するものであるが、後記の如く性格偏倚著しく、又暴力団の構成員としてその生活に対する憧憬の念が強く反社会的な構えも固着化して来ているため、昭和三八年一一月一一日盛岡(特別)少年院に収容されると、院内のマイナスグループのリーダーとなつて他の少年と対立抗争し、ために昭和三九年三月二四日千歳(特別)少年院に移送された。ところが同少年院においても、本人は、反社会的考え方を伴つた自己顕示行動を強く示し、収容されている少年間に支配的な地位を得んとして他の少年と感情的な対立抗争を続け、暴行、傷害、兇器所持等の反則を繰返して集団処遇に適せず、更には自棄になつて更生意欲は勿論のこと当該少年院の生活に適応しようとする意欲すら殆ど喪失し、遂に昭和四〇年二月一二日現在収容中の久里浜(特別)少年院に移送されるに至つた。同少年院に移送された後は、比較的静穏な生活態度となり自己から積極的に派閥抗争を起すことはなくなつたものの、尚自殺企図、喧嘩等の反則があつて在院成績必ずしも良好とは認められず、特に本件収容継続申請後は、長期に亘る少年院生活に倦みそこから脱け出すためには兇悪な事件を起して刑事処分になるにしくはなしと考え同少年院を自棄的に脱走し、逮捕に向つた警察官に草刈鎌を振つて激しく抵抗する等顕著な不適応行動を起すに至つている。

本人は現在においても、矯正教育に応じようとする構えがややもすれば崩れ勝ちであり、又元所属していた暴力団に対する親和感、帰属感も打ち消せないでいる。

(ロ)  本人の性格は、感情欲求の統制が不全(即行、爆発、気分易変)で殊に些細な欲求阻止に対して衝動的に反応(逆上し、攻撃的となる)し、気分の動揺激しく、不気嫌な気分に陥り易い等の性格特徴がある。又場の把握は著しく自己中心的、外罰的であり、虚勢を張つたり支配的な構えをする等反社会的考え方を伴つた自己顕示欲求も強い。

(ハ)  少年は、幼時からの家庭葛藤が原因して、保護者に対して殆ど憎悪、敵意に近い気持を懐いているものの如くしかももの後の本人の度重なる非行のため、益々その関係は冷却し、保護者は本人を引取る意思はない。本人の愛情欲求不満は根深く、従来の心情不安定の原因の一つであり、今後の更生の妨げとなることが考えられる。

二、上記認定の処遇経過在院成績、性格、その反社会的思考態度等を綜合して考えると、本人の犯罪的傾向は未だ矯正されたとは認められず、このまま社会復帰したときは反社会的集団に逆戻りして再犯に至る虞はかなり強いことが認められる。とすれば本人を更正させるためには尚相当期間に亘る矯正教育を施す必要がある。そこでその期間について接するに、少年が現在院内処遇段階上最下級の三級に留つており、処遇段階上退院可能となるには今後尚八ヵ月ないし一年以上を要すること、自棄的となつて院内不適応を起し易い少年の更生意欲を刺激し、その高まりをまつて退院させるためには、六ヵ月ないし一年程度の期間が相当で、この際それ以上に亘る長期間の収容継続を決定することは、少年の自立的立直りを期待する面からいえば、必らずしも望ましくないこと、等諸般の事情を勘案して、少年を収容継続する期間を昭和四一年三月三一日までとするのが相当である。

よつて少年院法一一条四項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 渡辺剛男)

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